nothing stays the same.

いつまでもこんな世の中じゃないんだろ?

しゃべる前に呑む。

俺ってこんな人間だったっけ。

引っ込み思案だった。

人見知りだった。

でもそれは幼いころの話。

成人してからは喜怒哀楽は激しかった方だと思う。

うれしいときは笑い。

悲しいときは泣く。

年を取ると涙腺は緩み、

破顔一笑、豪快に笑う。

そんな加齢を想像、予想していた。

ところがどうだい。

最近の俺は意見を言えない。言えてない。

思ったことが声帯を震わさない。

発声したあとの状況を思うと、

音声に表せない。

相手の表情の変化を思うと、

言葉にできない。

呑みこんでしまう。

丸呑み。すべて丸呑み。

相槌ばかり。

理性を借り、皮を被り。

 

ジョー・ストラマージョニー・ロットン

ボビー・ギレスピーレッチリのアンソニー

 

尊敬してます。

贈り怒られ

プレゼントが苦手だ。あげるのも貰うのも。いつからこうなったのかはわからない。しかし加齢とともにその理由はわかってきた。

誕生日。昔は楽しみだった。遠方の祖母からおくってもらったNゲージの機関車EF81 300番台 ローズピンク。リクエストだった。これちょーだい。欲しい物だった。

クリスマスも同じ。ファミコンソフト「女神転生」・・・(余談だがいまだにこのソフトを越える興奮を他のゲームで味わえずにいる。30年前のタイトルなのに!)。欲しい物だった。

年をとって。僕にも思春期が来て交際する人もできた。だがここで難敵が現れた。

「サプライズ」だ。

これよりあと貰ったもので(リクエストでないもので)心から嬉しいと思ったことがない。それでもプレゼントという気遣いの前に「喜び」を表さないといけない。正直しんどい。だからこっちがプレゼントする際もリクエストを尋ねるが「サプライズ」が無いとがっかりされてしまう。なんだこのゲーム。

結局プレゼント好きというのは「プレゼントをして喜ばれている自分」を楽しんでいるにすぎないと僕は思う。その証拠に友達なりパートナーなりのプレゼント選びに付き合うと必ず「これ喜ばれるかな」的なことを訊かれるだろう。これは置き換えれば「コレで喜ばれなかったらどうしよう」であり,この文の主語は贈り手である「私」だからつまるところ「喜ばれなかったら私どうしよう」なのだ。

サプライズなどなくリクエストなり一緒にお互いの欲しい物を買ってあげるなりの方が精神衛生的にもよろしいと思うのだけど,なかなか理解されずにつらい。

またこのイベント来ましたね,バレンタインデー。

最初のブログ(と the killers)。

 ブログを始めてみました。

いままでの人生で日記を書いたことのない人間の文章にどんな価値があるのか?

未来の自分が読み返したときに何か発見があるのか(そもそも読み返すのか)?

でも始めたいと思ったということは今の自分の何かを記録したい願望があるということなのでダラダラ書いてみましょう。

 今 the killers の "run for cover" を聞きながらパソコンに向かっています。最近全然CDというものを買っていなかったのですが、といってもiTunesとかよくわからんのでこの場合は純粋にCDを買って聞いていなかったという意味で。僕は今年42になるのですが聞く音楽はほぼ洋楽でしかも最近のシーンは聞いていないのですっかり耳がダメになってしまった気がしています。昔から好きだったバンド(the killersは比較的新しい方で)しか聞けなくなってしまいました。年取って保守的になってきたなぁ。そんなthe killers ですらオリジナルメンバー2人半分引退状態みたいだし。

 なんであんなに狂ったように聞いていた音楽を聞かなくなったのだろうと考えてみたら、たぶん、人のせいにするみたいであれですが子供が生まれるからではないかと。40オーバーで初の子供。両親に初孫見せれそうでよかった。これからちゃんと親やってけるのかしら。経済的にきびしくなるぞ。オムツちゃんと変えられるかしら俺。

 もう全然ロックじゃない。そらCD買わなくなるな。でも the killers 素敵。

最初に書いたものとしても駄文が過ぎました。もっと勉強いたします。